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 街のシルエットが、電車の車窓に映るケシの疲れた姿を通り過ぎていく。


 1年5ヶ月。


 永遠。


 自分を行方不明者として届け出た人はいるだろうか?自分の顔写真が載った張り紙がどこかに存在しているのだろうか?


 だが、「行方不明者」という言葉はしっくりとこなかった。


 それは「家出少年」という言葉も同じだった。


 自分が何者であっても、それはあくまで一時的な状態に過ぎない、とケシは思った。ルナを見つけるまで、あと少しの間だけ耐えなけばならないものだと。


 そしたら、もとの自分に戻ることができる。


 ケシはもう一度、ルナにつながる可能性のある場所を頭の中で挙げていった。ルナやルナの父親……または母親のことを知っている人がいる場所を。


 ルナの家族の過去はすべて知っていたし、頭の中で詳細に整理されていた。両親の出身校、二人が初めて出会った場所、紹介してくれた人、父親が教鞭を執った学校、育った地域。ルナの家族のことは自分自身の家族よりもよく知っていた。そして、田舎へ引っ越した13年間を除けば、それらは全てここ、東京で起きたことだった。


 それに、東京はルナの父が確かにいたことが分かってる最後の場所だ。


 ケシはガラス越しに流れゆく外を見つめた。


 手がかりがあるとしたら、あのぼやけた流れのどこかにあるはずだ。


 そう、消えたのはルナだけではなく、待宵一家全員だった。


 ある日突然、いなくなった。置き手紙も、電話も、葉書も、メールも、何もなく、ただ……


 煙のように。


「この電車は、山手線内回り、目黒行きです。次は、恵比寿、恵比寿。お出口は右側です。湘南新宿ラインはお乗り換えです」


 様々な噂が飛び交った。夫が不倫をしていた。妻が誰にも告げずに娘を連れて母国へ帰った。借金に追われ、誰かの助けを借りて夜逃げした……。


 ──ばかげている。


 ……だからといって、ケシに見当がつくわけでもなかった。ケシも他の人と同様、不意打ちをくらった。むしろ、ケシだけは彼らが突然消えるような人たちではないと知っていたからこそ、その衝撃は大きかった。


 ケシが生まれた時からずっと隣人だった待宵一家は、家族同然の存在だった。ルナの母ソフィーは子供の頃からケシの世話をしてくれた。ケシのおむつを替えたり、アルファベットを教えたり、お弁当を作ったり、ケシの母親が人手不足の時は老人ホームの手伝いまでしてくれることもあった。


 子供の頃、ルナの父親のダイスケはよくケシとルナを旅行に連れて行ってくれた。その後、ケシだけを連れて出かけることも度々あった。魚の釣り方やバッタの捕まえ方、回路基板にワイヤーをはんだ付けする方法、自転車のブレーキの交換方法。ビーチ・ボーイズのことだって、ケシは全てダイスケのおかげで知っていた。


 彼らを失うだけでも辛かったのに、ルナまで……。


 ルナはケシにとって親友以上の存在だった。自分の精神的な双子。そして——


 突然、喉に熱いものが込み上げてきた。


 ……いなくなると知っていたら、ルナは教えてくれたはずだ。絶対に。


 警察にもそう伝えたが、全く相手にされず、ケシは彼らが田舎の手抜き捜査を進めるのをただ傍観するしかなかった。最終的に犯罪の可能性が否定されると、バリケードとテープは撤去され、待宵の家は空っぽのままそこに残された。


 事態が落ち着いたある夜、ケシは合い鍵を使ってこっそり家の中に入った。そこで見た光景は一生忘れられないだろう。 待宵家の持ちものが、根こそぎ漁られゴミのように床に散らばっていたのだ。その家は以前にも増して犯罪現場のように見えた。


 吐き気がした。まるでケシ自身も何らかの形で侵害されたかのように。


 その次の週、ケシは夜中にこっそり抜け出して警官たちの後片付けをし、一家の持ちものを全て元の場所に戻した。同時に、警察が見落としたかもしれない手がかりを探し続けた。


 それも人に見つかって終わった。母親は激怒し、激しい言い争いに発展した。母親がケシの合鍵を取り上げ、ケシは家を飛び出した。公園で眠れない一夜を過ごし、翌朝、ケシが家に戻ると、意外にも母親は怒鳴らず、何事もなかったかのように振る舞った。そんな態度は母親らしくなかった。


 後になって、ケシは後悔した。


 母親も友人を失ったのだ。


 それ以来、ケシは隣の家には行かなくなった。夜、布団に入ると、家をこっそり抜け出して夜行バスに乗る空想をした。学校への道の途中で左のところを右へ曲がり、電車に乗ることも。誰もやろうとしないことを成し遂げるために。


 そう、彼らを見つけること。


 たが、母親を一人にするわけにもいかなかった。


 そこで、その後3年間かけて計画を練った。ルナとその家族について、思い出せる限りの詳細を書き留めた。後々手がかりになるかもしれないあらゆる事柄、例えば車の中でルナの父親が語った話、母親が二人の初デートについて言った冗談、写真や家の中のものを見て思い出した場所。それが彼のバカげたリストの始まりだった。


 ケシは視線を足元に落とした。


 東京は想像していたよりはるかに大きかった。


 そして、長い時間をかけて……ついに辿り着いた先に……何も見つからなかった。


 ルナの父親が教鞭を取った記録も。


 大学でルナの母親の授業を担当した人も。


 狛江では、待宵家や彼らの小さな電気店のことを聞いたことがある人は誰もいなかった。


 狛江はそれほど広い地域ではない。聞いて回った人たちの中で、一家を知っている者が一人もいないなんてありえるのだろうか? 自分は詳細を間違って覚えていたのだろうか?そんな思いが頭の中を巡った。


 確かに、ケシの記憶は年々頼りにならなくなってきた。出来事がぼんやりと霞み、順序が入れ替わり、名前と顔がごちゃ混ぜになる。 かつて確信していたことも、流動的な可能性の羅列に過ぎなくなっていた。


 しかしルナが消えたあの日は、心の風景の中で、確固たる、実体のある、永久に存在する物体として存在し続けていた。それは、人生で最も苦痛に満ちた時期の始まりを刻んだ、一枚岩のような存在だった。


 まだ深みにはまったままの、終わりの見えない長い夜。


「次は、目黒、目黒。終点です。お出口は右側です。東急目黒線はお乗り換えです。平域《ヘイイキ》 D-4 検問所へお越しの方はこちらでお降りください」


 だが、これはケシに限ったことではなかった。ルナがいなくなった後、全世界が地獄に変わった。

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