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 東京・新宿駅 午前11時23分



 ミオはかかと立ちで前後に揺れ、メニューを見ている父親のズボンを握りしめてバランスを取っていた。電車で出かける時に一番好きなものは駅弁だ。電車のかたちをしていて、ハンバーガーだけでなく卵も入っている。


 人々が四方八方に急ぐ様子をミオはじっと見つめた。ペットカートで子犬を押すおばあさん。制服姿の高校生たち。大きくて変な形のケースを持った男の人。


 そんな人たちを見ると、みんなどこに向かっているのか知りたくなった。


 青いスーツを来た禿げのおじさんもいた。すごく疲れているようだ。ミオは微笑んだ。お父さんに似ている。


 父親のズボンをぎゅっと握る。


 自分のことを見ている人もいた。駅の反対側から。


 モコモコの長いコートを着た女の人。


 怖い目をしていた。


 ミオがじっと見ると、たいていの人は目を逸らした。


 でもこの女の人は違った。


 バッグが重そうだ。その人が怒っているのはそれが理由かもしれない。




「お父さん」




 ミオは父親の足を引っ張った。


「パパ」


「なんだい?」


「行かなきゃ」


「もうすぐ順番が来るから。周りのみんなのように、ちゃんと待たなきゃいけないんだぞ」


「違くて、おうちに帰らなきゃ。あのお姉さんが言ってた」


 振り返って父親を見上げた。父親は顔をしかめている。


「え?お姉さんって?」


 ミオは怖い目をした女の人の方へ振り返った。しかし、その人はすでに別の方向を見ていた。


「あの人。おうちに帰らなきゃいけないって。おうちは安全だから」


 騒がしい駅の中でも、口が動いていなくても、なぜだか分からないけれど、その人が自分に話しかけているのが聞こえた。


「そうかい」


 父親がしゃがみ込んだ。


「ミオとお父さん、ずっと前からこの旅行に行こうって話をしていたよな?」


 父親が微笑む。そしてミオの両腕をぎゅっと握る。


「今おうちに戻ったら、父さんたち、あまり勇敢とは言えないよな」


 ミオは下唇を尖らせ、新しく買った紫色の水筒をじっと見つめた。




「そうだね……」



 ⋆ ⋆ ⋆



「つまり……政府と繋がっていて……」




 ケシは、ベッド横の椅子に座るレンに、静かな疑いの視線を向けた。


 最初、自分はどこか都内の病院にいるのだと思った。でも、医者や看護師は見当たらず、その女以外は誰もいなかった。


 曖昧な言い方ではあったものの、女は何が起きたかをケシに説明してくれた。そして今はまるでケシが何か言うのを待っているかのように、座ってケシを見つめている。


 ケシの視線は、レンの袖に配された太字の文字へと移った。



 ──D-E-E-P



 ……「深い?」それとも、SDF や CIA のような、何かの頭文字だろうか?


 どちらにしても、警察ではない。


 つまりこの人はケシが誰だか、おそらくすでに知っている。とはいえ、色々と話すことは避けたほうがいい。単なる官僚だとしても、警察官の延長線上にある存在には違いない。


 ケシはあえてもう一度レンの顔をちらっと見た。すごく綺麗な顔立ちをしているが、近づきがたい雰囲気で、見ているだけで緊張した。二十代半ばくらいだろうか?


 突然、目が合った。


 ──まずい。バレた。


 ケシは素早く自分の腹部を見下ろした。




 ……銃撃を受けた腹部を。




 その話し方から、ケシは間違って撃たれた、という印象を受けた。だが、はっきりとそう告げられたわけではなかった。


 だが、この時点ではもうそんなことはどうでもよかった。望むことはこの場所から離れることだけだった。そしてそのことに関して女は一切触れなかった。


 ケシは口を開きかけて躊躇した。沈黙を貫くことと、自分の運命を知りたい気持ちの間で揺れ動く。


 ──くそ、どうにでもなれ。


「あの……僕は逮捕されないのでしょうか」


「……されません」


 圧力弁が解放されたかのように胸から空気が抜け、頭が枕に沈んだ。しばらくの間、ケシはただそこに横たわり、天井の青い四角形をじっと見つめていた。


 天井にあったのは、窓ではなく、ただの光だった。


 理解がまだ追いついていなかったが、女性の話を聞き、記憶が次々と押し寄せてきた。


 クリニック。


 ガサ入れ。


 しかし、どんなに思い出そうとしても、被弾した記憶は蘇らなかった。彼女の話が真実なら、ケシは即座に意識を失ったに違いない。


 ケシは瞬きをした。


 それと、どういうわけか、アイコアを手に入れた。


 手術は完了しなかったはず。だが、視界に浮かぶヘッドアップディスプレイを見る限り、そうではなかったことが分かる。とはいえ、アイコアは機能していないようだった。これはケシが受ける罰の一部なのだろうか。それとも、単に故障しているのか。


 ケシは眉をひそめた。


 何かがおかしく感じられた。確かに「間違って」撃たれたのかもしれない。それでも、ケシが犯罪を犯したことに代わりはない。複数の犯罪を犯した可能性も。どう考えても、逮捕されるべき状況のはずだ。


 なのに、この女はただ座ってケシを見ている。


 まさかこんなに簡単なはずはない……。


「つまり……帰ってもいいということでしょうか?」


 女性は少し間を置いた。


「はい。協力していただければ」


 ──ほら。


 何かしらの要求をしてくる。それが何か、見当もつかない。もし情報を求めているのであれば、満足な答えなどケシには到底与えられないだろう。


 一つだけ明らかなことがあった。何があっても、自分の自由は条件付きだ、ということだ。


 ケシは何も言わず、ガウン越しに傷口を優しくさすった。すると黒い布地がきらめき、透明に変わって指先に小さな窓を形成した。切開部を縫合した透明なゲル状の粒が見える。


「……それは何かの頭文字ですか?」


 レンは困惑した表情でケシを見た。


「腕のところの」


 レンは自分の袖を見下ろした。


「ただの『DEEP』です」


 ケシは目を細めた。


「初めて聞きました」


「知らなくて当然です。我々は公認の機関ではありませんから。まあ、機関というよりネットワークと考えた方が適切ですが。それぞれ独自の目的に基づく特別なプロジェクト群です」


 ケシはガウンに沿ってぼんやりとまっすぐ指を走らせた。そのうち股間に近づいていることに気づき、慌てて手を引っ込めた。


「ケシくん。まずお礼を言わせてください」


 ケシはハッとして注意をレンに戻した。レンはその間もずっと視線をケシに向けていたようだった。


「あなたの英雄的な行動により、我々のエージェント1名の命が救われました」


 ──僕の……何だって?


 ケシは目を細め、必死に思い出そうとした。


「思い出せませ……」


 すると、雷鳴のように、あることが頭に浮かんだ。目覚めてからずっと影に潜んでいた光景が。


 銃口を睨みつける自分の姿。


 たちまち、恐怖感が戻ってきた。そして……




 ──血。




 ケシは恐怖で目を大きく見開いた。あまりにも多くの血。病院のガウンが、レンが、部屋そのものが、激しい純粋な赤の奔流へと姿を変えた。


「あなたが撃った男はテロリスト組織の一員でした。我々のエージェントが一時的に体を乗っ取ったのですが、遠隔攻撃と思われる攻撃を受けたのです。あなたが——」


 嘔吐物が一気に込み上げ、まるで体の中でダムが決壊したかのように喉を駆け上がった。ケシは手すりに飛びつき、床に吐き出した。


 レンは凍りつき、驚きで目を大きく見開いた。そして素早くハンカチを取り出すと、吐き気を抑えるかのように鼻を押さえた。


「ま、まあ時間は沢山あります。まずは掃除をしてもらいましょう」


 ケシは足元に広がった、ツンと鼻を刺す緑がかった水たまりを凝視し、残りが滴り落ちるのを見つめた。頭がくらくらし、呼吸が乱れる。


 撃たれただけじゃなかった。 自分もまた誰かを撃った——殺し——


 再び波が押し寄せた。吐き気がまた込み上げる。ベッドの車輪に透明な液体が飛び散った。


 ──でも……


 自己防衛だった。


 ──だよな?


 彼らはケシを殺そうとした。それは技術者でもなく、老人でも、微笑んでいた医師でもなく。


 ──彼ら。この女。


 彼らが男の体を乗っ取ったところを、ケシは目撃した。


 ケシは座った状態で息を荒げた。視界の端ではボヤけたレンの姿が見える。


 激しく駆け巡る思考を鎮めようとした。罪悪感を喉の奥へ無理やり押し戻す。支配される前に、抑え込もうとしたのだ。


 窮地からはまだ脱していなかった。ミッションは今までと同じ。



 ──生き残ること。



 次第に呼吸が落ち着いてきた。


 彼らはケシの何かを必要としている。それだけは明確だ。それが何なのかが明かされるまでは、自分に何も切り札がないことは知らせない方がいい。すでに銃撃を乗り切ったんだ。彼らだって乗り切れるはずだ。


 薬のせいかもしれないが、ケシは突然、腹の底から活力が湧き上がるのを感じた。まるで本当に脱出できそうな気がしたのだ……


 レンが身を乗り出し、除菌シートを差し出した。


「歩けますか?」


 ……協力するふりさえしておけば。


「はい……おそらく」



 ⋆ ⋆ ⋆



 エミはつまらなそうに前を見つめた。マモルは椅子にもたれかかり、ぎこちない心理学者かのように指を組んでいる。


 ──やれやれ、またこれか。


「それで……今はどんな気持ちだ?」


 エミは大げさにベッドに倒れ込み、足を高く掲げてバタバタと揺らした。黒いスリッパが一足、つま先から滑り落ちて床に落ちた。


 何よりも、この部分が一番嫌いだった。


「本当にくだらない質問。頭が割れるほど痛いし、家に帰りたい。それに、トイレに行きたいし……」


「エミ、いずれは話さなきゃいけないことだ。君は極度の肉体的・精神的ストレスを受けた。手術だけでも——」


「うん、まあ、確かにめちゃくちゃ痛かった。でも自分の体に戻った今では、まるで何もなかったみたいに感じるんだよね。 身体的な記憶が全く残ってない感じで」


 マモルはいつものしかめっ面でエミを見た。エミは振り返り、虚ろな目でガラス越しに外を見つめた。


「大丈夫だって。それに、話してもどうせ誰にも分かってもらえないだろうし……」


 自分の感情は自分で処理できた。それらがあるべき場所、つまり頭の中で。


「だとしても、明日の朝に改めて診察できるよう、もう一晩ここに泊まって欲しい。司令官は今日の正午まで言ったが——」


「ごめん」


 エミは再び起き上がり、二匹のぬいぐるみの猫の隣にある本棚に、金属片を置いた。鈍い音がする。


「私、家に帰って自分のベッドで寝る。餌もあげなきゃ……」


 エミはガラスの向こう側に何かを見て、言葉を途切らせた。


 レンだ。車椅子に乗った誰かを押している。


 変だ。微笑んでいる。


 まあ、レンなりの微笑みだが。


 車椅子が視界に入った瞬間、胃が締め付けられた。


 エミは目を大きく見開いた。アドレナリンが急上昇し、思わずベッドから飛び上がる。ドアにぶつかりそうになりながら、顔をガラスに押し付けた。


 ──あいつ。


 胸をナイフで刺されたような痛みを感じた。




 ──いやだ……




 ⋆ ⋆ ⋆



「……我々の手術用ロボットは、アイコアの生体データと同期することで、より効果を発揮します」


 レンは言葉を慎重に選びながら話した。一度に多くのことを話すと、混乱させてしまう。


「負傷の状況を踏まえ、救命のためにアイコアの挿入が必要と判断しました」


 少なくとも当分の間は、真実は隠すつもりでいた。「もつれ」が、事態をさらに複雑にしていた。ケシを撃っただけでも十分まずい状況なのに。


 現在の最優先事項。体裁を整えること。


 レンは鼻からため息をついた。


 ──良いスタートとは言えないな。


 勧誘するための簡単なセリフを頭の中で繰り返していたが、診療室でケシの車椅子を押すうちに、それらの言葉がすべて頼りなく感じられてきた。ここで上手くやれるかどうかがあまりにも多くのことに影響するのだ。


 実際のところ、ケシが自由を望んだとしても彼に選択肢はなかった。だがレンは、できればその話は避けたかった。


 ──最善を尽くすのみ。


 レンはあえてエミを無視し、ケシから目を離さないようにした。視界の隅では、エミが動物のようにガラスに身を押し付け、目でレンたちを追っているのが見えた。


 ──ケシは覚えているのだろうか?知っているだろうか?


 それこそが核心だった。


 ふたりの反応が、必要なことを全て教えてくれる。


 ケシは施設を見渡し、観察した。やがて視線がエミに注がれる。エミを見た瞬間、ケシは無表情になった。


 ──さて、どうなる。


 レンは車椅子をゆっくりと止めた。相手を認識したり、ショックを受けたり、何かしらの反応がないかを伺いながら。


 何もなかった。ケシはただそこに座り、無表情で空虚な眼差しで前を見つめた。


 ──……何もない?


 レンがエミを一瞥すると、エミもまた立ち尽くし、荒い息遣いでガラスを曇らせていた。


 見つめ合うふたりの間に入るように、ついにレンが口を開いた。


「彼女は我々の常駐のアイオン、エミです。後で紹介します」


 ケシは黙ったままだったが、どこか考え込んでいるようだった。ガラスの向こう側では、エミが口元を歪めてしかめっ面になり、急に顔をそらした。


 ──よし。状況は理解した。


 タイミング良くマモルといる時で助かった、とレンは思った。ケシのことがある中、エミの相手をする気力などレンには残っていなかったからだ。


「アイオンって……なんですか?スパイ?」


 ケシは車椅子からレンを見上げた。


「ええ、本質的には。ただ、アイオンはスパイが決して知り得ない情報にもアクセスできます。人の心と魂に隠された秘密にも」


 ケシはしばらく何も言わなかった。そして再び口を開いたとき、その口調はより堂々として、率直だった。まるでずっとその質問を胸に秘めていたかのように。


「他人のアイコアをハックするんですよね?そうしてましたよね、あの時……」


 言葉が途切れ、ケシが目を大きく見開いた。


「えっ。ということは——」


 ケシはエミの部屋の方へと振り返った。だが、レンが車椅子を押して隣の廊下へと進み、視界を遮った。


「はぐらかすつもりはありません。ただこればかりは自分の目で見ないと、信じてもらえないでしょう」


 レンは少しだけ顎の力を抜いた。


 ──これが、最初の遭遇。



 ⋆ ⋆ ⋆



 エミは一瞬待ってから再び目線を戻した。レンとケシの姿はすでに消えていた。


 無言のまま立ち上がり、引き戸を開く。


 マモルが驚いて、背筋を伸ばした。


「エミ、まだ終わって——」


 エミは背後にある引き戸を思い切り閉めた。その衝撃でパネルが扉の枠から跳ね返った。


「待て!エミ!」


 後ろからマモルの声が響いた。


「まだ正午じゃないだろ……俺を面倒に巻き込むなよ!」



 ⋆ ⋆ ⋆



 レンがケシを押して角を曲がったところで、ケシは再び詰め寄った。


「話してくれたことが事実なら、僕はこの場所にいるべきじゃない。それならなぜ案内してくれるんですか?」


 ──賢い子だ。薬が切れてきたのだろう。


 もちろんその通りだった。ケシをこの場に連れてくるだけでも、すでに十数件のセキュリティ違反だ。しかも、上層部への報告もまだだった。テロス事件以降、レンははすでに危うい立場にあり、いつ彼らから電話がかかってきてもおかしくなかった。


 だが、それはあまり重要でなかった。報告があろうとなかろうと、彼らはすでに知っているはずだからだ。


 どのみちこの場所に秘密などないのだから。


「確かに、ここに連れてきたことは多重セキュリティ違反です。その責任は私が取ります。お伝えした通り、救命に必要な措置でした。書類手続きで解決できない問題ではありません……」


 レンは疲れたため息をついた。考えただけでうんざりした。


 アカシの声が割り込んだ。


【どうだ?エミを見て何か反応はあったか?】


 レンはこめかみのズキズキする痛みに耐え、目を閉じた。頭痛はまだ治っていない。


【片方だけ】


【エミならそのうち立ち直るさ。そうせざるを得ないのだから】


 レンは絶望したような表情をした。


【それにしてもなぜみんな最近よく吐くんだ?】


 突然、耳元で大きな警報音が鳴り響いた。レンが目を見開き、動きを止める。


「警報 ー 北緯35.6896度、東経139.7006度地点にてテロの脅威」と書かれた点滅する緊急バナーがレンのヘッドアップディスプレイを埋め尽くした。


 レンは一瞬もためらうことなく行動に出た。


【アツ】


【了解】


 ケシは困惑した表情で前を見つめ続けた。


「彼らを操っていた。まるで操り人形のように。気味が悪かった。アイコアはそんな風にハックできないはず……」


 ケシはレンの方へ振り返った。


「ですよね……?」


 だが、レンの意識はすでにどこか遠いところに行っていた。視線を素早く動かしつつ、チームと連携を取っている。


【ガイ、ノリ、地上部隊。長澤、空撃に回れ】


【はい、チーフ】


【了解!】


【やっと新鮮な空気が吸える!】


 全員に外出禁止令を出しておいて正解だった。


 車椅子の手押しハンドルを握る手が強まり、ふくらはぎに力が入る。まあいい。事後分析なんかより、実際の現場の方がずっと多くのことを教えてくれる。


「あの、何が——うわ!」


 車椅子が勢いよく押し出され、ケシの体が車椅子の背もたれに激しく打ちつけられた。レンが全速力で廊下を駆け抜ける。ケシは腹部を押さえて身構えた。


「今度はなんですか!?」


「ライブ・デモンストレーションだ!」



 ⋆ ⋆ ⋆



 角を曲がったところで肘を擦りむいたエミは、早歩きから走りへと、そして全力疾走へと切り替えて、滑らかな黒い廊下を猛スピードで駆け抜けた。


 隣の通路で、胸を激しく上下させながら滑るように止まった。目の前には、中央エレベーターから伸びるメインエントランスが広がっている。


 エミはコートをフックから引き剥がし、上り框の縁に沿ってきれいに並べられた列の中に無造作に脱がれた自分の靴に足を突っ込んだ。


 エレベーターのドアが自動で開き、勢いよく中へ飛び込む。


 ドアが背後で閉まり、エミはパネルへとくるりと振り返った。階数の表示はなく、ボタンは一つ、「上」だけだ。


 エミは親指でボタンを強く押した。


 何も起こらない。


 再びボタンを押した。そしてもう一度。もう一度。もう一度、もう一度、もう一度もう一度もう一度。


 全く動かない。


 靴でパネルを蹴飛ばす。


 取り乱したエミは、ドアの上のスクリーンを見上げた。


 11:58が59に変わる。


 エミは手すりを掴むと、全力でボタンを飛び蹴りした。何度も何度も。小さな金属製のエレベーターの壁に声が反響する。


「だ・し・て・よ、ここから!!」

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